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~ 今日の風 ~

~ 今日の風 ~

「みすゞさんのこころ」2


=こだま=

みすゞ通りやそこから右や左へ入った路地を歩いていると、見知らぬ旅人の私
にも仙崎の町の人たちがごく自然にあたりまえに挨拶をしてくださいます。
難しい時期である中高生もさわやかな笑顔で、あるいはちょっと恥じらいを見
せながら挨拶をしてくださいました。蟻を見つめていた幼児が周りのすてきな大
人たちの背中を見ながら成長して、このように自然に挨拶をしてくださるように
なるのでしょう。

「こだまでしょうか」

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

***

「私の髪の」

私の髪の光るのは、
いつも母さま、撫でるから。

私のお鼻が低いのは、
いつも私が鳴らすから。

私のエプロンの白いのは、
いつも母さま、洗うから。

私のお色の黒いのは、
私が煎豆たべるから

こだまのように、自分のことばや想いが返ってくるとしたら、やはり自分の言
葉が出発点なのでしょう。みすゞさんは、周りに起こっていることは、自分が源
で自分の行動が反映したものととらえています。とかく都合の悪いことは相手の
せい、周りのせいにして、都合の良いことはあたりまえと思う人が多い中で、み
すゞさんは逆に良いことは周りのおかげで、悪いことは自分のせいとしてとらえ
ています。自分がそうしていられる倖せは周りのおかげと感じています。
そして、自分が良いことをするときは、誰にも知らせずにひっそりとするので
す。小学校の恩師の大島ヒデ先生はみすゞさんのことを「性格は優しい人で、内
向性ではありましたけれど口にだされず実行される方でした。心持ちの豊かな、
人や友達を愛するというような、先生に対しても礼を尽くすというような人でし
た。」とおっしゃっています。


すべては見る人の心によります。あたりまえと思わずに感謝する心、あたりま
えと片付けないで不思議に思う心、新鮮に感じ、感動する心は、日常を非日常的
に生きることによって芽生えてくるのかもしれません。
今まであたりまえと見ていたこと、あたりまえに行っていたことが実はとって
も驚きであったりします。あたりまえをあたりまえで片付けない、そこから楽し
さや驚きを発見することができます。
自分自身の固定観念をはずしてそれまでのものの見方をやめて「あたりまえ」
という言葉を「ふしぎ」という言葉に変えて、周りを見直したら、今まで見えな
かったものが見えてくるのかもしれません。

「不思議 」

私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑の葉たべている、
蚕が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。



「草原の夜」

ひるまは牛がそこにいて、
青草たべていたところ。

夜ふけて、
月のひかりがあるいてる。

月のひかりのさわるとき、
草はすっすとまた伸びる。
あしたも御馳走してやろと。

ひるま子供がそこにいて、
お花をつんでいたところ。

夜ふけて、
天使がひとりあるいてる。

天使の足のふむところ、
かわりの花がまたひらく、
あしたも子供に見せようと。

「あしたも子供に見せよう」と夜更けに草原を歩く「ひとりの天使」はきっと
みすゞさんなのでしょう。
今日、牛は何も考えずに青草を食べました。きっと明日もそうでしょう。子ど
もも今日はうれしそうにお花を摘んでいました。そして明日もまた咲いたお花を
見ると、にこっと笑ってまたお花を摘むのでしょう。牛にも子どもにも天使の姿
は見えないけれど、そのやさしいこころは、牛も子どもも受け取っているのでし
ょう。
みすゞさんは、自分の悲しみや辛さを周りの人たちにさとられないようにして
いました。
病で関節が冒されていたときのことを当時の上山文英堂の丁稚だった花井正さ
んは、「テルちゃんは、関節まで悪くなっていたと思うよ。~ テルちゃんは、
ミチさんや松蔵さんなどの前では、こう ちゃんと歩いていたけど、ちょっと人
がいなくなると足をひきずっていた。それを偶然見た時は、つらかった。」とお
っしゃっています。


「露」

誰にもいわずにおきましょう

朝のお庭のすみつこで、
花がほろりと泣いたこと。

もしも噂がひろがつて
蜂のお耳へはいつたら、

わるいことでもしたやうに、
蜜をかえしに行くでしょう。

この花も蜂もみすゞさんなのでしょう。みすゞさんは、結婚前に結婚を強く反
対していた弟正祐さんの手紙の返事に「流されながらも花の目は、きっと大空を
見ていましょう。」と書いています。
一九九〇年、私が初めて矢崎節夫先生の講演をお聴きして、感動しながら「金
子みすゞの生涯」にサインをしていただきましたが、その時先生が書いてくださ
った言葉が「流されながらも花の目は、きっと大空を見ています」でした。
「~きっと大空を見ていましょう」が「~きっと大空を見ています」としたと
ころに、先生のみすゞさんへの想いも加わって、さらに味わいのあるすてきな言
葉になったと思っています。

「花のたましい」

     散ったお花のたましいは、
     み佛さまの花ぞのに、
     ひとつ残らずうまれるの。

     だって、お花はやさしくて、
     おてんとさまが呼ぶときに、
     ぱっとひらいて、ほほえんで、
     蝶々にあまい蜜をやり、
     人にゃ匂いをみなくれて、

     風がおいでとよぶときに、
     やはりすなおについてゆき、

     なきがらさえも、ままごとの
     御飯になってくれるから。

金子みすゞ

この花ももちろんみすゞさんでしょう。「だって、お花はやさしくて、おてん
とさまが呼ぶときに、ぱっとひらいて、ほほえんで」は、女学校の後輩の中村さ
んがおっしゃった「金子さんは笑顔のとてもいい方で、学校や道で顔をあわせる
と、ほっと笑うのです。その笑顔を見ると、こちらまでうれしくなって、みんな
金子さんのことをあこがれていました。」という言葉にぴったりと重なります。
「なきがらさえも、ままごとの御飯になってくれるから。」も、みすゞさんの生
涯と重なり、「花のたましい」はまさにみすゞさんの魂だと思えます。


=「さびしいとき」=

「夕顔」

      お空の星が
      夕顔に、
     さびしかないの、と
ききました。

      お乳のいろの
     夕顔は、
     さびしかないわ、と
      いいました。

    お空の星は
   それっきり、
すましてキラキラ
     ひかります。

     さびしくなった
夕顔は、
だんだん下を
むきました。

みすゞさんは、夕顔のように、誰にも言わずに一人さびしさをかかえて生きて
いたのでしょうか。

「さびしいとき」

私がさびしいときに、
よその人は知らないの。

私がさびしいときに、
お友だちは笑うの。

私がさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

私がさびしいときに、
佛さまはさびしいの。

みすゞさんはさびしいときに、その気持ちを言葉にして周りの人には伝えたり
はしなかったのでしょう。だから、「よその人は知らない」し、「お友だちは笑
う」のでしょう。だけどそんなことは言わなくても「お母さんはやさしい」し、
みすゞさんと同じように「佛さまはさびしい」のです。

「蜂と神さま」

蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。

蜂の中に神さまがいらっしゃるということは、もちろんみすゞさんの中にも
神さまがいらっしゃるということです。だから、「私がさびしいときに、佛さま
はさびしいの。」です。
みすゞさんは、蜂の中にいらっしゃる神さまやみすゞさんがさびしいときにさ
びしいと感じてくださる佛さまが自分の中にもいらっしゃると感じていたのでし
ょう。みすゞさんのこころに佛さまがいらっしゃるように、蜂の中にも神さまが
いらっしゃって、この宇宙に存在するすべてのものの中に神さま、佛さまはいら
っしゃるということなのでしょう。
だから、この宇宙のすべての存在に意味を感じていたのでしょう。宇宙に存在
するものすべての中に神さまを感じていたから、「大漁」の詩も生まれたのでし
ょう。「神さまがおつくりになった」ものの中には神さまの神聖さと素晴らしさ
があります。人は自分の中にその存在を自覚したとき、それを見ることができる
のかもしれません。


=こころの王国=

人は一人になった時、周りの小さな葉にそそぐ光や草をゆらす風やちいさな
いのちに目が向き、ひそやかなものの姿が見え、ささやかな音も聞こえ、そして
見えない存在も感じられるようになるのでしょう。静かな一人の時には、神さま
ともお話ができます。その神さまは、もう一人の自分かもしれません。その自分
が神さまとしての自分を受け入れることによって、宇宙のすべてを受け入れてい
るのかもしれません。外側で体験したことを自分の中で統合して自分のものとす
るのは一人になった時にできることなのかもしれません。

「学校へゆくみち」

     学校へゆくみち、ながいから、
     いつもお話、かんがえる。

     みちで誰かに逢わなけりゃ、
     学校へつくまでかんがえる。

     だけど誰かと出逢ったら、
     朝の挨拶せにゃならぬ。

     すると私はおもい出す、
     お天気のこと、霜のこと、
     田んぼがさびしくなったこと。

     だから、私はゆくみちで、
     ほかの誰にも逢わないで、

     そのおはなしのすまぬうち、
     御門をくぐる方がいい。

みすゞさんは、一人の時間を大事にしていました。従姉妹の前田リンさんが
「みんなと一緒にいきゃいいそに。その方がしゃべりながらいけてよかろがな。」
とおっしゃったのに対して、みすゞさんは、「そりゃ、そうやけど」とこくんと
うなずいて「たしかに、一緒にいく方がいろいろな話が聞けて楽しい。でも、い
つも楽しい話ばかりじゃない。たまにゃ、誰かの悪口や、嫌な話も聞かにゃなら
んしな。そういうの、あんまり好きじゃない。だから、一人の方が安気でええ。」
と答えたといいます。

同級生の井上チエさんは、「学芸会で、講堂に集まっている時に、金子さんが、
今できたばかりの話をしますといって、何も見ないで、みんなの前にたって話を
しました。」松浦乃枝さんも「~その話があんまり上手だったので、先生方も生
徒も、みんなびっくりしました。」とおっしゃっていることからもわかるように、
一人の時間に想像を巡らせて豊かな世界を創っていたのでしょう。

そういう静かな世界で、一人静かに心を見つめていたのでしょう。そうするこ
とで、澱のようなものが浄化されていつも清らかな心でいられたのだろうと思い
ます。


「砂の王国」

私はいま
砂のお国の王様です。

お山と、谷と、野原と、川を
思う通りに変えてゆきます。

お伽噺の王様だって
自分のお国のお山や川を、
こんなに変えはしないでしょう。

私はいま
ほんとにえらい王様です。

人は、外的世界と内的世界の二つの世界に住んでいます。内的世界はみすゞさ
んのいう「砂の王国」なのかもしれません。みすゞさんは、いつも内的世界を大
事にされていたと思います。こころの王国の存在を信じていたのだと思います。
他人や外側に倖せを求めるのではなく、自分の中に求めていたのでしょう。自分
の中であらゆるものを統合して、一人の人間として満たされた存在であったのだ
と思います。人が平等に自由なのは心のあり方でしょう。心の中では誰でも自由
でいられるし、心のあり方も自分が創っていけるのですから。


=みんなちがって みんないい=

仙崎では、繋がれている犬もいますが、繋がれていない犬もいます。うちにも
犬がいて、お散歩をさせますが、そういう時に繋がれていない犬を見ると、私は
不安や恐怖を感じ用心して遠回りをしたり、引き返したりしてしまいます。でも、
不思議に仙崎の繋がれていない犬は怖くないし、親しみも感じます。気がいいと
いう印象があります。
ちょうど夕方のお散歩タイムとなった時、楽しい光景を目にしました。飼い主
に連れられた繋がれた犬のそばに繋がれていない犬もくっついて一緒にお散歩し
ているのです。そして、その後を二匹の猫がついていくのです。意識しているの
か、いないのか、時々立ち止まったりしながらも歩く速さも合っているのです。
警戒心などはまるでなく、それぞれが本当に楽しんでいるという様子でした。

動物ばかりでなく、町の人たちもそうでした。駅では電車を待つおばあさんと
女子高生とでお話がはずんでいました。 バスに乗れば、おばあさんは他所の子
を膝に乗せて今日あったことなど話しています。一目で旅人とわかるのでしょう
か、鯨墓まで行こうとした私に運転手さんが気を遣って下さり、わざわざ海上レ
ストランのバス停で停まって声をかけて下さいました。バスを下りると、またど
なたかが鯨墓への道順を教えてくださいます。帰りのバスの時刻まで心配してく
ださいました。

猫でも犬でも、繋がれていてもいなくても、町の人でもそうでなくても、幼く
ても若くてもお年寄りでも、縦にも横にも区切らずに、みんな一緒なのです。区
切る必要がないのです。区切らないから一人一人の居場所は広くて、一人を見守
るたくさんのやさしくあたたかいまなざしがあります。

「 みんなを好きに」

私は好きになりたいな、
何でもかんでもみいんな。

葱も、トマトも、おさかなも、
残らず好きになりたいな。

うちのおかずは、みいんな、
母さまがおつくりになったもの。

私は好きになりたいな、
誰でもかれでもみいんな。

お医者さんでも、烏でも、
残らず好きになりたいな。

世界のものはみィんな、
神さまがおつくりになったもの。


みすゞさんが、「みんなを好きに」を詠んだときは、みすゞさんが結婚生活に
悩んでいたころだと思われます。「みんなを好きに」なれないときがあるから、
でも、やはり「みんなを好き」でいたいから、「みんなを好きに」という詩がで
きたのでしょう。
「世界のものはみィんな、神さまがおつくりになったもの。」だから、「みんな
ちがって みんないい」のでしょう。

「私と小鳥と鈴と」

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と 小鳥と それから私、
みんなちがって、みんないい。

「みんなちがって みんないい」という言葉がとってもうれしく心に響く日が
あります。「みんなちがって みんないい」という言葉がむなしく心に響く日も
あります。それは、たぶん私に何かを気付かせてくれるためなのでしょうが、人
との関わりが時には思ってもみないネガティブな方向に動いてしまうことがあり
ます。「みんなちがって みんないい」を矛盾なく実践していくことがこんなに
も大変なものかというような体験もありました。何という大きな根源的なテーマ
を選択してしまったのかと感じたこともありました。

けれど、そういうことに出合えば出合うほど「みんなちがって みんないい」
がどんなに大切なものであるかということも実感しました。そんな時、「みんな
を好きに」と「私と小鳥と鈴と」の二つの詩がこころに甦って大きな勇気を与え
てくれました。
世の中には全く違う考え方をする人、全く違う生き方をしている人もいます。
それをいちいち判断していると、悩みにもなり仕切りを作るもとにもなってしま
う気がします。心の仕切りをなくすには、許すことだと思います。相手の違いを
許して心の仕切りをなくすことで、あの仙崎での触れ合いのように、心の中に広
い世界が広がっていくのかもしれません。


=光と影=

外側の世界が美しく喜びに満ちているのは、その人の心の中に愛や喜びがあふ
れているからでしょう。みすゞさんのこころの中には愛にあふれる大きな宇宙が
あったから、外側にあのようにやさしく豊かな宇宙を見ることができたのでしょ
う。みすゞさんが詠んだ美しいもの、やさしいもの、せつないもの・・・そうい
う全てが「みすゞさんのこころ」なのでしょう。

感動というのは心が動くことだとしたら、ポジティブもネガティブも感動なの
でしょう。心はポジティブな方向にもネガティブな方向にも同じように広がって
いるとしたら、大きな喜びを知っている人は深い悲しみも知っているといえるか
もしれません。逆に深い悲しみを知っている人は、大きな喜びも知っているので
しょう。

みすゞさんは、心がやさしく透き通っているから、誰も感じないような小さな
喜びも感じたけれど、小さな哀しみ、深い哀しみも感じていたのでしょう。その
優しさゆえに、表には出せないままに哀しみも感じていたのでしょう。

「日の光」

おてんと様のお使いが
揃って空をたちました。
みちで出逢ったみなみ風、
(何しに、どこへ。)とききました。

一人は答えていいました。
(この「明るさ」を地に撒くの、
みんながお仕事できるよう。)

一人はさもさも嬉しそう。
(私はお花を咲かせるの、
世界をたのしくするために。)

一人はやさしく、おとなしく、
(私は清いたましいの、
のぼる反り橋かけるのよ。)

残った一人はさみしそう。
(私は「影」をつくるため、
やっぱり一しょにまいります。)



「繭と墓」

蚕は繭に
はいります、
きゅうくつそうな
あの繭に。

けれど蚕は
うれしかろ、
蝶々になって
飛べるのよ。

人はお墓へ
はいります、
暗いさみしい
あの墓へ。

そしていい子は
翅が生え、
天使になって
飛べるのよ。

***

  「光の籠」

私はいまね、小鳥なの。

夏の木のかげ、光の籠に、
みえない誰かに飼われてて、
知っているだけ唄うたう、
私はかわいい小鳥なの。

光の籠はやぶれるの、
ぱっと翅さえひろげたら。

だけど私は、おとなしく、
籠に飼われて唄ってる、
心やさしい小鳥なの。


おてんと様のお使いの一人一人のどの人もみんなみすゞさんなのでしょう。
太陽が光と影をつくるように、大漁でにぎわう浜の海の底では弔いがあるように、
いつも喜びだけではありません。光もあれば影もあります。

みすゞさんは初めて投稿した童謡が「童話」に載ったとき、その感激を
「嬉しいのを通りこして泣きたくなりました。」と表現しています。結婚後、
母親として生きるみすゞさんに詩作を促し、励まそうとした正祐さんからの
手紙への書き込みには「ありがとう、ありがとう・・・・・くりかえしよんで、わた
しはうれしく、かなしく、やるせない」と書かれています。 いつも、繊細に
いろいろな想いを感じていたのだと思います。

また、生きることと死ぬことも同時に存在していたように感じます。そして、
死んだらすべてが終わりだとも思っていなかったのでしょう。「私は清いたまし
いの、のぼる反り橋かけるのよ。」と詠んでいるように、魂は天に行くと考えて
いたのでしょう。生きているときは、翅を広げずに「おとなしく、心やさしい小
鳥」だったみすゞさんにもきっと「翅が生え、天使になって」飛んで行ったので
しょう。翅を広げさえしたら破れる光の籠を破ることはしないで、みすゞさんは
自分の意思で籠の中で生き抜いたのだろうと思います。



「唖蝉」

おしゃべり蝉は歌うたう、
朝から晩まで歌うたう、
誰が見てても歌うたう、
いつもおんなじ歌うたう。

唖の蝉は歌を書く、
だまって葉っぱに歌を書く、
誰も見ぬとき歌を書く、
誰もうたわぬ歌を書く。

(秋が来たなら地に落ちて、
朽ちる葉っぱと知らぬやら。)

みすゞさんが詠ったものは全てみすゞさんのこころに中にあるものなので
しょう。みすゞさんは、その悲しみや辛さを周りに愚痴ったりすることはありま
せんでした。それは、周りに問題を感じて生きる生き方ではなく、内面を深く掘
り下げて、そして詩へと昇華させていったからなのでしょう。
唖蝉はみすゞさんなのでしょう。「誰も見ぬ」「誰もうたわぬ」歌を書きなが
ら、「秋が来たなら地に落ちて、朽ちる葉っぱ」と自覚しながらも、詩作は生き
る支えだったのでしょう。



「巻末手記」

――― できました、
できました。
かわいい詩集ができました。

我とわが身に訓うれど、
心おどらず
さみしさよ。

夏暮れ
秋もはや更けぬ
針もつひまのわが手わざ、
ただにむなしき心地する。

誰に見しょうぞ、
我さえも、心足らわず
さみしさよ。

(ああ、ついに、
登り得ずして帰り来し、
山のすがたは
雲に消ゆ。)

とにかくに
むなしきわざと知りながら、
秋の灯の更くるまを、
ただひたむきに
書きて来し。

明日よりは、
何を書こうぞ
さみしさよ。

みすゞさんの五百十二編の詩の中に、直截に気持ちを表現したものはあまりあ
りません。みすゞさんの想いは、周りのささやかないのちに託して詠まれること
が多いのですが、この「巻末手記」にはそのせつなさをそのまま表現してありま
す。みすゞさんは、詩作が生きていることだったのでしょう。詩作=生きる、で
あるその詩作を止められて、どこに希望を見出したらいいのかという気持ちがせ
つないほどに伝わってきます。



「りこうな桜んぼ」

とてもりこうな桜んぼ、
ある日、葉かげで考える。
待てよ、私はまだ青い、
行儀のわるい鳥の子が、
つつきゃ、ぽんぽが痛くなる、
かくれてるのが親切だ。
そこで、かくれた、葉の裏だ、
鳥も見ないが、お日さまも、
みつけないから、染め残す。

やがて熟れたが、桜んぼ、
またも葉かげで考える。
待てよ、私を育てたは、
この木で、この木を育てたは、
あの年とったお百姓だ、
鳥にとられちゃなるまいぞ。
そこで、お百姓、籠もって、
取りに来たのに、桜んぼ、
かくれてたので採り残す。

やがて子供が二人来た、
そこでまたまた考える。
待てよ、子供は二人いる。
それに私はただ一つ、
けんかさせてはなるましぞ、
落ちない事が親切だ。
そこで、落ちたは夜夜中、
黒い巨きな靴が来て、
りこうな桜んぼを踏みつけた。

この詩は、みすゞさんの遺書と思える詩の一つです。初め、私はこの詩を読ん
でいると、せつなくなってしましました。「りこうな桜んぼ」はみすゞさん自身
と思うとき、みすゞさんの生涯に起きた事を重ねて読むとき、何ともいえない深
いせつなさが胸に迫ってきました。
みすゞさんはいつも相手側の立場を想って優先して自分の言動を決めていたの
でしょう。それは結婚前の正祐さんとのやりとりの中でもわかります。正祐さん
は、結婚に反対する建白書に「とにかくよく考えて下さい・・・じゃァない、よく
考えないで最初の直感に従って動いてください。後からなまじっかな深慮とかい
うようなものが起きても、そいつはむしろ、けとばしてもらいたい。あまり過激
すぎるけれど、それ位の意気込にして初めて卑屈から、妥協から、やっと救われ
る位のものです。」と書かれています。

私は、少しして「一粒の麦」を思いました。「一粒の麦、地に落ちて死なず
んば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。(新約聖書ヨハネ
伝)」という言葉です。みすゞさんというやさしい桜んぼの一粒が地に落ちたこ
とで、今たくさんのやさしさの実が実っているということなのでしょう。
感情的に読まずに一歩離れて客観的に見つめたとき、自分の内面の大事なもの
のために自分のいのちを生かしたみすゞさんが見えてきました。みすゞさんは、
みすゞさんの生き方を貫いたのかもしれないと思いました。

みすゞさんの命は詩に昇華され、詩に託されて、詩にみすゞさんのいのちが宿
っているように思います。みすゞさんの詩の甦りはみすゞさんのこころの甦りで
あると思います。みすゞさんのいのちが甦っているのだと思います。今、多くの
人たちにみすゞさんの詩が読まれることによって、みすゞさんのこころが甦り、
さらに増幅されていくのだと思います。


「こころ」

お母さまは
大人で大きいけれど。
お母さまの
おこころはちいさい。

だって、お母さまはいいました、
ちいさい私でいっぱいだって。

私は子供で
ちいさいけれど、
ちいさい私の
こころは大きい。

だって、大きいお母さまで、
まだいっぱいにならないで、
いろんな事をおもうから。

他の詩では、子どもの視点で詠んでいたみすゞさんですが、この詩では
お母さんのこころで詠んでいると思いました。みすゞさんのこころは
お嬢さんのふさえさんのことでいっぱいだったのでしょう。


=このみち=

このみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎よ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
蓮池のかえろよ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子よ、
このみちを行こうよ。

このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ。
このみちをゆこうよ。

先日、TVを見ていたら、カンボジアの当時の国民の十五パーセントからの
大量虐殺(その数の多さに正確な数は把握されていません)を行っていたという
ポルポト派に属する女性の顔の写真が映し出されました。まだ年もとっていない
眉間には深く醜い皺が刻まれ、苦渋に満ちた顔をしています。女性としてのやわ
らかさややさしさは欠片も見えません。
それを撮った写真家は、「九十九・九パーセントの人の中に、残虐性があるの
だと思います。それは普通深いところで眠ったままなのですが、環境によって目
覚めさせられてしまう。」と言いました。写真の女性は、不幸なことに封じ込め
られていた残虐性を呼び覚まされてしまったわけです。

逆に言えば、たとえ虐殺を犯したような人の中にも同じようにやさしいこころ
があるのだと思います。その人の深いところのやさしさの芽は出ることもなく、
残虐性の方が目覚めてしまったということなのでしょう。
私は、仙崎から帰ってきて日常に戻ったとき、つい『首都圏ではやさしいここ
ろを発揮できる場所が少ないのか、それとも目覚めていないのか』と思ってしま
いました。多くの人々のやさしさが目覚めて、やさしいまなざしが増えて行った
ら、仙崎のようなやさしく住みやすい街になるのではと思いました。みすゞさん
の詩を知っていただくことで、少しでもそのやさしさの芽に水を注げたらと思い
ます。

参考図書 矢崎節夫著 「金子みすゞの生涯」(JULA出版局)
「金子みすゞ全集」(JULA出版局)
   詩の表記は旧仮名づかい・旧漢字を変更。ルビは、省略しました。

*文中の「心柄」「倖せ」という言葉や文字は、矢崎先生のご著書の
記述に共感して、以来使わせていただいています。



         ****************************





「みんなちがって みんないい」に思うこと(1)

八月のある日、横浜で興味のあったオイリュトミーの講座を受けたときのこ
とです。その中でシュタイナー教育関係の先生が作曲された歌を歌ったのですが、
それがなんと「星とたんぽぽ」と「わたしと小鳥と鈴と」でした。
「わたしと小鳥と鈴と」について、先生はこのような解釈をなさいました。
「昔、小さな頃は、鳥のように飛べていると思ってた。でも、今、わたしは鳥の
ように飛べないことがわかった。小さな時は、自分が鈴になって鳴っているよう
に思えてた。でも、今、私は鈴ではない。鈴は鈴、私はわたし。だけど、みんな
違ってみんないいんだ」と。「だから、前半はその哀しみがあるので、曲もそん
な感じになっています。」ともおっしゃっていました。
シュタイナー教育では、9歳を節目として大事に考えています。9歳の節目を越
えると、それ以前の夢見心地から目覚め、自我に目覚めて、はっきりと「わたし」
という感覚が出て来て、周りを観察するようになるのだそうです。そういう変化
を「わたしと小鳥と鈴と」の解釈に取り入れていたのです。
一緒にその講座に参加されていた小学校の先生は、「私は、教科書で『わたし
と小鳥と鈴と』を教えるときは、文部省からの指導を受けて、『ひとり、ひとり、
みんなちがう。みんなちがって、みんないい』というように教えてしまいました。
ひとりひとりなのだという感じで。これからは、もっと豊かな想いを伝えて行き
たい」というようにおっしゃっていました。

この夏、仙崎のみすゞ記念館で山田さん(金子みすゞ顕彰会会長)とお話を
していましたら、「今の若い人の中で、『みんなちがって、みんないい』を違っ
て解釈している人がいるんですよね。『みんな違う。それぞれ違うんだから、そ
れでいい。』という、区切って干渉しない、されたくないというような。」とい
うようなことを伺いました。
講座に参加されていた先生のおっしゃるように文部省が解釈しているかどうか、
あるいはその先生の個人的な解釈が入っていたのかの確認はしていませんが、ど
ちらにしても、まだやわらかな小学生のこころにそういう限定した解釈が入って
しまうのは残念だなと思いました。

オイリュトミーの講座の先生は、みすゞさんの詩は人智学的にも注目されてい
るということをおっしゃっていました。なるほどと思います。子どものためのお
祈りの言葉の中には、みすゞさんの詩とまるで重なるものもありました。
インターネットで「みんなちがってみんないい」を検索したとき、みすゞさん
の「わたしと小鳥と鈴と」を使った学校の研究授業のことが出ていました。その
中に、子供たちの意見として出ていたのは、「実際は、『ちがっていて いい』
と言われたことはない」というということでした。
息子にきいたら、「違っていて誉められたことはない。反対のことはたくさん
ある」ということです。みすゞさんの「わたしと小鳥と鈴と」の詩がせっかく教
科書に載っても、学校の現場でその精神を生かすことはまだ難しい状況のようで
す。

「 私と小鳥と鈴と」

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と 小鳥と それから私、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞ詩





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